『ファイ phai φ 人文論集鳥取 電子版』は、遥かな未来への緩やかな移行。小舟の後ろの、扇状の航跡。さざめき戯れる、無限のさざ波。

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■日野谷川河口(岩美町牧谷)2016.04.26 up
河口の漣

日野谷川は、岩美町牧谷の「海と大地の自然館」の傍を流れる、どうと言うほどもない細く短い川である。水は透明で河口は底を見通せる程浅い。さらさらと流れる水面に午後の陽光がちらちらと反射するが、その光りは、人の視覚によって見えるよりも遥かに微細で複雑な様相を示している。むしろ、人間は現れるものを正しく認識することなど殆ど出来ていないことを、この画像が教えてくれる。このような微少な感覚の重要性を初めて指摘したのは、たぶん、今からちょうど300年前に亡くなったドイツのライプニッツであったろう。彼が微分法の発見者であることはそのことと深く関係している。このことは更に、現代の私たちが、過去から学ぶことが余りにも少ない、ということをも、暗示している。ほんの些細なことの中にこそ、真実が含まれていないとすれば、そのようなものは、そもそもありはしないであろう。自ずから現れるもの、「ファイノメノン phainonmenon」の微細な襞へと見入ること、それが『ファイ phai』という雑誌の名の意味である。

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■駟馳山(岩美町) 2016.02.26 up
旧ロゴ

駟馳山

駟馳山(しちやま)は標高314m、地質は中新世の鳥取層群に属する「駟馳山砂岩泥岩層」の上を「荒金火砕岩層」が覆ったもの(山陰海岸ジオパーク解説パンフレットより)。鳥取市の鳥取砂丘と、岩美町の浦富海岸とを分けるとともに、北側山麓の中国自然歩道が両者をつないでもいる。旧山陰道・駟馳山峠は古来より交通の難所で、江戸時代、諸国巡礼の六部・多十郎が峠のぬかるみ道に石畳を造成した、という史実が伝えられている。東側斜面(岩美町側)には今もその石畳の一部が残され、いにしえを偲ばせている。2014年3月に馳馳山トンネルが完成し、かっての難所は劇的に改善された。写真は、岩美町の長谷(ながたに)の山から2015年秋に撮影。この山には春にはカタクリの花の群生が見られるという。ロゴ写真の右側あたりに、駟馳山麓の大谷砂丘が霞んで見える。その彼方に日本海がぼやけている。日本海、大谷砂丘、そして駟馳山は、100年前にそこで暮らしていた若き尾崎翠が毎日眺めていた風景である。また、手前の山に挟まれた集落は岩井温泉で、尾崎翠が生まれた場所である。2016年は、尾崎翠生誕からちょうど120年となる。

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